クリの木と縄文人の生活の講演会 鈴木三男先生と岡村道雄先生のトーク 楽しかった!!!

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クリは栗林の中で育つと真っすぐ伸び直径も1mを超えるという衝撃的な先生のおはなし。そういえば、あの三内丸山遺跡の巨大木柱(六本柱)は地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡である。柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルのクリの木柱が入っていた。

そして、三内丸山遺跡のすべての建物はほぼ、クリの木で作られたのだそうである。講演会終了後、鈴木三男先生が著された著書『クリの木と縄文人』を購読し、びっくりした。昨年11月26日に仙台縄文塾第14回の『縄文文化と弥生文化、なぜ・どのように違うのか?』の辻誠一郎先生(東京大学教授)のお話に感激したが、なんと、あとがきに、この本を出すことが出来た、最大の貢献者は辻誠一郎先生なのであった。又、今回のトークのお相手は「奥松島復興の会」の震災復興の活動をしている岡村道雄先生からも、考古学の師として、また、飲み友達としての関係がユニークなトークにつながったのであろう。

後先が違いましたが、この講演会とは3月11日 奥松島縄文村歴史資料館にて「クリの木と縄文人の生活」の講演会があったのでありました。
ここに参加できたのは、NPOLEAF26の村上理事長のお誘いがあったればこそであった。村上さんとの出会いは、トランスイート四季島受け入れ大崎市実行委員会での名刺交換がきっかけであった。私の名刺に縄文観光とあり、東松島市の第4回植樹祭・前夜祭への宿泊でのお誘いを受けての実現となった。

当日は当初、民宿の宿泊だけの予定であったが、午後1時から「クリの木と縄文人の生活」の講演会があることがわかり、時間の都合がついたので、鈴木三男先生と岡村道雄先生のトークを拝聴することが出来たわけである。

ここで、著書『クリの木と縄文人』のポイントを紹介したい。

縄文人はクリと何時であったのか?
・クリの実を食べた➡栗津湖底遺跡(滋賀)・・・・10,500年前
・クリの木を使った➡野沢遺跡(宇都宮)・・・・13,800年前
・長野県上松町のお宮の森裏遺跡から草創期のクリの炭化果実・・・・12,800年前

5万年前からの日本列島の気候変動と文化史・・・・13,000年前
・15,000年前の一時的温暖化の後、徐々に寒くなっていく時期の後半に当たる。
・この温暖化により、亜寒帯性の針葉樹林は後退し、落葉広葉樹林が拡がった。その中に、
クリの木もあったのだ。
・しかし、クリの木は自然状態ではそれほど急速に分布域を拡げることが出来なかったのだろう。
(大きな実による散布)
・ナラ林の拡大により遅れてクリは拡がり、そして13,000年前頃に縄文人と出会った、
と考えることができる。

⓶遺跡の盛衰とクリ・・・・三内丸山遺跡のクリ花粉
・円筒式土器文化圏とクリ:4,000~5,000年前にクリは繁栄
・ここ里浜(奥松島)でも相であるが、多くの縄文時代遺跡では遺跡の始まりとともにクリが増え始め、
遺跡最盛期はクリ以外はない状態になり、遺跡の衰退とともにクリが消えていった。

⓷海を渡ったクリ
・クリの集団遺伝子解析(集団間の遺伝子構成の類似度)
クラスターの地理的分布
・北海道にクリが渡ったのは縄文時代前期

縄文人はクリを主食糧としなかったのか?
・クリは主食糧にならない(畠山剛「縄文人の末裔たち」舞台は北上山地
クルミは脂質が多すぎ、クリは甘味が強いためにヒエ・オオムギに代わる主食糧にはなれず。
主食糧になったのはあく抜きに多大な時間と手間がかかり、そしてほとんどの人が決して
うまいとは言わないシダミ(どんぐり)とトチノキだという。
・クリを準主食
静岡県最奥部の水窪地区:朝茶に春と秋の数か月は毎日塩味の栗煮。
・北上の人達はなぜクリを主食糧としなかったのか?
クリは自然林に生えているのではなく、所有者のある土地に植栽、
あるいは栽培管理されているもので、誰もが拾えるものではなかった。

⓹クリは陽樹で大きく高くなる。・・・・・栽培管理での大成長!
なんと、東北大学大崎市川渡の山で10年に及ぶ実験検証

⓺クリは食料のほかに建築材としての役割が大きかった
上述したように、三内丸山遺跡のすべての建物はほぼ、クリの木で作られたのだそうである。
クリは硬くて、水に強く、しかも加工しやすいとの事。
現代のイメージでは杉の木のように真っすぐには育ちにくく、建築材にはむかない。
しかし、縄文人は食料のほかに、建築材としても使用し、一挙両得を実現していたとは。

そうそう、以前の投稿で「大久保窯 栗原市金成 村上世一氏 北の土を焼く!」を紹介した。
その中で、建物を紹介していた。その内容は、『ご自宅は、気仙大工の今や得難い技術を後世に残そ、
3階まで見事な木組みの吹き抜けが貫くご自身のオリジナル設計の建物。大柱はケヤキなそうだが、
それ以外は、天然の栗の木を用いており豪壮な建物。』

やはり、縄文人の心は現代に息づいているかも?

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