ペンギンの見分け方が 以外に面白かった!

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仙台うみの杜水族館での楽しみ方が増えた。今回はペンギンの種類がこんなにあることに気づいた。コウテイ、キング、アデリー、ジェンツー、ヒゲペン、ガラパゴス、ケープ、フンボルト、マゼラン、フィヨルド、シュレーター、スネアーズ、マカロニ、ロイヤル、イワトビ、キンメ、コガタ、ハネジロ。

2階のイルカと反対方向に王様ペンギン(キング)とフンボルト&マゼランペンギンコーナーがあるのをご存じだろうか。このフンボルト&マゼランペンギンコーナーにはもう1種類のケープペンギンがいる。総勢30羽ほどで、一番多いのがフンボルトかな、次にケープペンギン、マゼランペンギンは1羽しかいないのだ。この写真がマゼランペンギンの「あおくろ」君という名前だそうだ。別名B黒(BはブルーのB)、名前を覚えると、なんだか親しみやすくなる。30羽の中に1羽、太陽に向かって、毅然とした姿は神々しい!。皆さんも探してみようね!

見分け方?それはね、フンボルトはくちばしの根元がオレンジ色のやつ、ケープペンギンは目元がオレンジ色のやつ、最後にマゼランは胸元の黒が二重になっているからわかるよ。わかんない時は係員に聞いてね!親切に教えてくれるはず!きっと。

仙台うみの杜水族館 年間パスポート切れちゃう最後の日に ウィーディーシードラゴンに出会った!

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一年は早いもの、もう仙台うみの杜水族館 年間パスポートが切れちゃう 最後の日に なんとウィーディーシードラゴンに出会い感激。タコノオトシゴの仲間?でユーモラスで美しいその姿、なんか幸せでした。それと今回は3回目なのですが、やはり、孫とみるアシカ、イルカショーは外せません。あとクラゲもね。

陶芸 初体験 !!! 栗駒焼大溪窯 小柳陶峯先生!

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土を東北中探し求め、栗駒の陶石に出会い、釉薬を開発し続けてきた栗駒焼大溪窯 小柳陶峯先生。昨日、もったいなくも陶芸作りの体験をさせて頂いた。
夫婦で約3時間、ろくろを回し、生き物のように変化する土の動きに驚きながら、湯飲み茶わんを9個程程作らさせて頂いた。

時間の経つのを忘れ、土と触れ合いながら、先生の36年間の苦闘の技の指導を一心に受けながらの格闘。それは、何とも言えない、時間が止まっているかのような空間。

陶芸家の仕事は、食器や花瓶、壺やオブジェなどの焼き物を作り出すこと。最初の3年間は土をこねる作業で最初からろくろを回し等をさせてもらえなかった修業時代の話なども伺いながら、人生の苦労、人生の醍醐味など、人生絵巻を見ているようなお話の数々、陶芸つくりの技とともに人生の教訓など教えて頂いた気がする。

この焼き物作りは上記の土と釉薬の研究を経た後、たくさんの工程を踏み、一つひとつの作品を作り出すまでに、長い時間と手間がかかるのであろう。今の人は土と釉薬は市販品を安易に使用するとも陶芸家に苦言されることにも感銘しきり。

通常は、最初にすることは、デザインであろうが、初体験ということで今回は湯飲み茶わん作り。陶芸家は常に、どのような材料を使うか、どれくらいの工程が必要かを考えた上で、制作に入るのであろう。材料の土をこねる作業は体験していないが、この下準備までが特に大事なのか。
ろくろう回しながらの制作は、力の入れ方やろくろの回転のスピードによって形が決まるため、とにかく集中しながら作業することが肝要。
そして、形ができあがったら、土の中の水分を抜くために乾燥させるがここでの温湿度管理も手が抜けないという。乾燥させておかないと、窯で焼いたときに中の水分が膨張して器が割れてしまうことがあるため。

しっかりと乾燥させた後は、一度素焼きをし、そこに下絵をつけたり、釉薬と呼ばれる薬をかけたりする。次は本焼き、1200℃ほどの高温の窯の中でじっくりと焼き上げて、作品を仕上げる。ここでは、置き場所やいろんな偶然などが重なり、同じ釉薬でも緑のものや青のものなど、様々な変化が楽しめるのだそうだ。

写真の陶器は先生の最新作、世は稲穂の黄金色に彩られているが、この陶器も黄金色に輝く素敵な作品ですよ。

これら、この長い時間と手間をかけて生み出した作品が多くの人の目に触れ、そこでの会話を通し、人間のふれあいこそが、実は陶芸家としての醍醐味なのではなかろうか?幸い、栗駒は紅葉シーズン真っ盛り、皆さんも週末の栗駒山 いわかがみ平に行かれた際にお気楽にお立ち寄りください。すてみな出会いがきっとあるはず。

最後に、陶芸家の憧れ、曜変釉薬国宝「曜変釉薬茶碗」の神秘的な美しさ。その魅力はまるで小さな宇宙といわれている。光彩を放つ美しい斑点の一つに私もなれるよう頑張って行こうーと!

陶芸 初体験 !!! 栗駒焼大溪窯 小柳陶峯先生!

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土を東北中探し求め、栗駒の陶石に出会い、釉薬を開発し続けてきた栗駒焼大溪窯 小柳陶峯先生。昨日、もったいなくも陶芸作りの体験をさせて頂いた。
夫婦で約3時間、ろくろを回し、生き物のように変化する土の動きに驚きながら、湯飲み茶わんを9個程程作らさせて頂いた。

時間の経つのを忘れ、土と触れ合いながら、先生の36年間の苦闘の技の指導を一心に受けながらの格闘。それは、何とも言えない、時間が止まっているかのような空間。

陶芸家の仕事は、食器や花瓶、壺やオブジェなどの焼き物を作り出すこと。最初の3年間は土をこねる作業で最初からろくろを回し等をさせてもらえなかった修業時代の話なども伺いながら、人生の苦労、人生の醍醐味など、人生絵巻を見ているようなお話の数々、陶芸つくりの技とともに人生の教訓など教えて頂いた気がする。

この焼き物作りは上記の土と釉薬の研究を経た後、たくさんの工程を踏み、一つひとつの作品を作り出すまでに、長い時間と手間がかかるのであろう。今の人は土と釉薬は市販品を安易に使用するとも陶芸家に苦言されることにも感銘しきり。

通常は、最初にすることは、デザインであろうが、初体験ということで今回は湯飲み茶わん作り。陶芸家は常に、どのような材料を使うか、どれくらいの工程が必要かを考えた上で、制作に入るのであろう。材料の土をこねる作業は体験していないが、この下準備までが特に大事なのか。
ろくろう回しながらの制作は、力の入れ方やろくろの回転のスピードによって形が決まるため、とにかく集中しながら作業することが肝要。
そして、形ができあがったら、土の中の水分を抜くために乾燥させるがここでの温湿度管理も手が抜けないという。乾燥させておかないと、窯で焼いたときに中の水分が膨張して器が割れてしまうことがあるため。

しっかりと乾燥させた後は、一度素焼きをし、そこに下絵をつけたり、釉薬と呼ばれる薬をかけたりする。次は本焼き、1200℃ほどの高温の窯の中でじっくりと焼き上げて、作品を仕上げる。ここでは、置き場所やいろんな偶然などが重なり、同じ釉薬でも緑のものや青のものなど、様々な変化が楽しめるのだそうだ。

写真の陶器は先生の最新作、世は稲穂の黄金色に彩られているが、この陶器も黄金色に輝く素敵な作品ですよ。

これら、この長い時間と手間をかけて生み出した作品が多くの人の目に触れ、そこでの会話を通し、人間のふれあいこそが、実は陶芸家としての醍醐味なのではなかろうか?幸い、栗駒は紅葉シーズン真っ盛り、皆さんも週末の栗駒山 いわかがみ平に行かれた際にお気楽にお立ち寄りください。すてみな出会いがきっとあるはず。

最後に、陶芸家の憧れ、曜変釉薬国宝「曜変釉薬茶碗」の神秘的な美しさ。その魅力はまるで小さな宇宙といわれている。光彩を放つ美しい斑点の一つに私もなれるよう頑張って行こうーと!

縄文土器 野焼きに魅せられた2回目の体験 

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9月に行われるはずであった風の沢ミュージアムでの万葉祭が中止となり、10月9日に縄文土器の野焼きが行われた。幸運にもこの野焼きにお誘いを受け、参加することができたのであった。私としては2回目の体験となった。

皆さんが一生懸命作られた縄文土器は充分に乾燥させたものが持ち込まれ、午前10時に野焼き(素焼き)点火された。

縄文時代には、窯がなかったので、野焼きといわれる焼成方法で、焼き上げる。野焼きに付いての、体験とポイント等を紹介します。
⓵準備
  野焼きは乾いた場所で乾いた雑木等をもちいる。
⓶あぶりの様子
 マキの周りに土器を置き、ゆっくりあぶる。この時の土器の置き方は、最初は立てて焼き、次に反転して、最後に倒して底を焼く方法がベスト。これを今回の土器の量では約40分程度の間隔で行う。
⓷師匠曰く、はじめに急激に温度を上げないのが割れない一番のコツ。トランキーロ、焦ってはいけない。まんべんなく熱を受けるように時々土器を回してあげる。
⓸午後一時ちょっと手前、土器を中央に配置し大点火開始。この時、中央に大きな土器を置き、全体で丸い山形にする。今回の注目点は下が湿っぽいので土器の下は直接土ではなく、その上にレンガを敷き詰めていた。(前回は炭を敷いていた)
 観察色が変わってきたら(茶色から黒へ)、本焼きに入る。
⓹午後2時5分中央の土器の周りは本攻め真近のキャンプファイヤーの様な横顔に。
 このころが緊張の時間帯、土器にヒビが入るとピシッという音がすることもあるそうな。熟練の師匠達が焦らず頃合いを見ながらの火加減の調整で今回も聞くことなく順調な経過。
⓺午後3時5分前、遂に本攻め
 土器に木が当たって壊れないように注意しながら中央から放射状に一気に木をくべる。写真のような大きな炎、これが野焼きの醍醐味なのだ。
⓻午後4時5分前、ほぼ沈火状態
⓼この間、サツマイモ、ジャガイモの焼き芋つくりも好評で、秋の味覚も十分に堪能した。
 ここで、小生は所用のため帰宅、いい思い出のこもった、煙の匂いを車中で味わいつつ。

お酒好きな人への朗報と警告!お薬3つ止めて2か月 驚愕の数字は何で? HbA1c LDL γ-GTP 

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過日、お薬3つ止めて2か月後、体重が2Kg増えて不安な中、ドアを開き挨拶後、主治医の先生の一言、食事かなり気を付けられましたね。HbA1cが6.6と大幅に下がっていますとのお褒めの言葉に安堵した。9か月以前高血圧の薬を止め、7か月前に糖尿の薬を止め、2か月前に中性脂肪の薬を止め、いよいよ本格的に薬を止められるかどうかの今回の血液検査の結果を受けての先生の有難いお言葉。

糖尿の薬を止める以前のHbA1cは6.0前後で安定していたため、先生の提案で薬を止めた前回はHbA1c7.0となんとも微妙な値で今回が試練の検査であったのだ。目標は6.9以下でなんとか薬を飲まないで様子見との見解であった。ところが、驚愕の6.6と0.4も一気に低下したのであった。

次にもっと驚いたLDL(一般に悪玉コレステロールと呼ばれている)が143.2➡70.3と半減以下になった。総コレステロールはなんと106.9(LDL+HDLで総とはちょっと違う?)で長生きできない値?迄下がり過ぎ。卵と肉を食べているのに食べていないに等しい?なんとも不思議な結果に!
又、私のウイークポイントで、肝心の一番いつも安定して高い中性脂肪(200位から~800)については、分析中で結果は出ていなかった。しかし、ネットで見ると総コレステロールが低い場合は中性脂肪も低いとの情報から、低かった可能性が高いのかな?。

この結果は、何を示唆しているのだろう?ここ二日間考えていた。答えはこうだ。糖尿を改善してきたのはアルコール。糖質の多いビールと日本酒はほとんど飲まなくなり、炭水化物の量も抑えてきたのは言うまででもない。それならなぜ、と考えてきたのだ。それは糖質0の日本酒を飲み続けて、2年半になるのだが、半年前位から、糖質0に加えて、プリン体0の日本盛の銘柄に絞ってきた事が挙げられる。私は尿酸値が平均位なので痛風の可能性はほぼないと思っているのでわざわざプリン体0を飲む必要はないのだ。しかし、毎日3合を飲んでいる私はおいしくないといわれている糖質0の日本酒の中でもおいしくて、しかも安いものが日本盛なのである。(但し、6本2リットルまとめ買いで安い店から購入)この、プリン体0がLDLを下げた大きな要因であろう。

警告、それは最後に残されたγ-GTPが問題である。今年1月からの推移を見てみよう。38➡52➡56➡66➡118(過去最高は178)と禁酒率0の今回は118との結果になった。炭水化物を夜抜くために、糖質0の日本酒を毎日飲んでいるので糖尿を克服してきた経緯があるのである。しかし、肝臓に負担を掛け、γ-GTPが上昇してしまうデメリットをヘパリーゼを用いることでγ-GTPを抑えてきたのである。それを実は6月以降ヘパリーゼを中止し、シジミで補っており、前回の66までの値で良しとしてきたが、今回倍増近くになってしまった。ヘパリーゼを止めた理由は残念ながら、低価格のヘパリーゼ銘柄が製造されなくなったのである。

今日から、対応策を検討中である。また、IPSのアニオン(空気清浄機)等も最近使用しており、その効果等もお知らせできるかも?
次回の報告は明年1月の中旬を予定しているのでお楽しみに!

以下はこれまでの健康情報のタイトルである。参考にされたい。

お酒好きな人への朗報! γ-GTP178→38 中性脂肪580→202 驚異的な効果は何が影響したのか!?
お酒好きな人への朗報! 第3弾! その後の経過 お薬3つをなぜか中止!?
お酒好きな人への朗報 第2弾! その後の経過 お薬2つを中止へ!?
ココナッツオイルの魔法! 試したこの2か月半の成果!?
2合毎日 HbA1c 血糖値 結構 ケッコー コケコッコ

村田町歴史みらい館 ここにも縄文の素晴らしい土偶があった!

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柴田の蔵を堪能した後、せっかくなので道の駅村田を訪れ、土産品などを見て回った。そして、お隣にあった”村田町歴史みらい館”に立ち寄った。
ここでびっくり、なんとここにも縄文の素晴らしい土偶があった。何と愛くるしい目と口が穴で表現された土偶があるではないか、村田も縄文の街であったのだ。

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次には、縄文土器も展示されていた。

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そして、葉っぱの上に土器のベースとなる粘土が敷かれ、帯状の粘土が描かれ、土器を形作っていく過程が示されたパネルまであった。柴田町は裕福なのであろう?

勿論、紅花の交易ルートなどや数々の展示品があった。いやあ~、村田で土偶と会えて幸せでした。