辛抱こそは家の神宝! "みちのく宮城の小京都" と 呼ばれる柴田の蔵 

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宮城にも蔵の町並みが残る街道がある。"みちのく宮城の小京都"と呼ばれる柴田の蔵を見に先週行った。初めての訪問となり、観光案内所を先ずは探していた。なんとなくひっそりとしていて、観光客も平日とあってか少なく、蔵の街あたりだなと ゆっくり車を進めていると一か所だけ目立つ“かねしょう商店”が目に飛び込んできた。ここは嘉永二年1849年に創業をされた文具雑貨屋さんでる。紅花貿易で栄えた村田で、京都との交易の戻りの便で持ち帰った品々を、代々、小間物屋として販売してきた「かねしょう商店」。この交易ルートは酒田からの海ルートや陸路の江戸ルートの二つがあったと町の展示品からうかがえた。
蔵の町並みに面してたたずむ店蔵の中なかから、奥さまがお迎えくださり、紅花茶と味噌煎餅でもてなして下さった。この紅花は昔、村田町のシンボルで今こそ山形に紅花の名は持っていかれた感はあるものの、この茶の見た目の鮮やかさとまろやかさは格別で土産に買ってしまったほどである。店内は『一閑張り』のバッグやところどころに漆塗りの素晴らしい工芸品も飾られている。
奥さまのお話は向かいの屋号「やましょう」である大沼家、(現「やましょう」記念館)から分家され「かねしょう」として、嘉永二年に創業された。観光課の人の話ではこの「やましょう」の分家は数多く、大沼の苗字が皆同じなため、屋号で呼び合うのが通常とか。又、「かねしょう」は、ただ雑貨を売るだけでなく、いらっしゃった観光客に、町の歴史や村田の商人がどう生きたか、ということを店の座売りにて紅花茶をふるまいながら色々なお話しをするそうで、私たちにも同様に詳しくお話ししてくださった。特に、近江商人とのつながりもあり、その教えを今もなお守っていらっしゃり、「辛抱こそは家の神宝」という、奥様がお座りになる横には奥様の素晴らしい字で「人によく家業もはげみ末永く辛抱こそは家の神宝」と小槌の絵を添えられた、素敵な書が飾られている。そして、蓄えられた財は地域に還元なされているだろうことは想像に難くない。

それ故であろうか、東日本大震災の影響で被害を乗り越え、宮城大学の学生ボランティアの協力もあり、個人の歴史展示館が完成したという。平成23年7月17日より、「かねしょうの時館」がオープン。かねしょう商店店舗二階が過ぎし時代を懐かしむ時の空間とし、タイムスリップしたかのように懐かしいレトロな物(六代に渡って使用してきた生活用具)が多数展示してある夢のひと時が皆さんを迎えてくれるはず、きっと。
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特に印象に残ったのは「昔、NHKの“ラジオ深夜便”で紹介された時(実は奥様が紹介していた?)は、かなりたくさんのお客さんに来てもらったという。そうするためにも、来月の第16回みやぎ村田町蔵の陶器市は皆さんも是非、蔵の街にいって柴田の蔵の街を大いに盛り上げてみましょう!期間は10月14日(金)~10月16日(日)で 江戸時代後期から昭和初期にかけて様々な商いを行った町有数の豪商・村田商人「やましょう」を含む店蔵と空店舗に宮城県はもとより東北・関東中心の陶芸家 80窯以上が一堂に介し、陶器の展示・販売が行われる。
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ここで、重要伝統的建造物群保存地区の村田を代表する“村田商人やましょう記念館”を紹介!
この記念館は、江戸や上方(京都)との紅花取引で活躍した村田商人の足跡を伝えるため、平成10年に7代目大沼昭七氏が村田町へ寄贈したもの。「やましょう」は江戸時代から昭和初期にかけて活躍した村田商人で柴田郡刈田郡では、宝暦(1750)の頃から、紅花栽培が盛んになり、村田郷は仙南地方の紅花の集散地で、当家は、紅花や生糸などを上方へ出荷する商取引をはじめ、味噌醤油の醸造販売、土地や金銭の貸付、株取引などを手広く行った豪商として知られていた。上方からの帰りの船には、呉服・古着・瀬戸物・薬・砂糖・塩などを積み、またお土産にと雛人形や屏風・掛軸などを運んできたので、3月開催の“村田町家の雛めぐり”や“みやぎ村田町蔵の陶器市”などがイベントとして開催されているようだ。

貴重な「やましょう」の建造物の数々、 先ずは薬医門と言われる門は店蔵の南側に設けられるのが、この村田の特色で、この門構えは、豪商の誇りでもあったのであろう。木戸を開けると奥へ母屋、内蔵(安政3年、1856年建築)、新蔵、西蔵、味噌蔵、塩蔵と続く、反対が側には離れ、外風呂/外部便所、醤油醸造場と10棟もの蔵が奥に並び表通りからは見えない奥行きが広がっている。一番驚いたのは広い間口の店蔵の内側の梁は写真の通り、幅1メートルもあるんです。
我々も人生の幅を利かせたいものですね!